想像力

ものごころがついて初めて
広島で暮らすことになった娘に、
原爆のことを伝えたいと思いました。

ちょうど学校から
「第11回広島 原爆と戦争展」というチラシをもって帰ったので
先日、娘を連れて行ってみたのです。

被爆直後の広島や長崎の惨状を伝える
目を覆いたくなるような写真や資料、体験記などが
展示してあり、久しぶりに目にした私も
胸が苦しくなるようでした。

そうしたなか、会場の女性に声をかけられ
「今、語り部の方が話を始められたので
一緒にお聞きになりませんか?」とおっしゃるのです。

実は私、41年間“広島県人”をやっておりますが、
目の前で、語り部の方がお話しになるのを聞いたことがありません。
娘と一緒に貴重な話を聞かせて頂くことにしました。

その方は、82歳の男性で、
思い出したくないできごとを、昨日のことのように
語ってくださいました。
爆風で飛んできたガラスがお姉さんの顔中にささっていたこと。
自身も被爆でやけどして包帯をしていたけれど、包帯をかえるときに
皮ふが全部くっついて骨が見えていたこと。。。
でも幸運なことに、お姉さんが看護婦だったので
塗り薬が手に入り、やけどのあとが残らなかったとか。

そして驚いたことに、
その方は当時15歳で、私の母校の前身である
広島一中の生徒さんだったのです。
男性は、ずっと被爆体験を封印してこられたのですが、
のちに、同じ一中の生徒や先生がたくさん
亡くなったことを知って、この体験を伝えなければ・・・と
10年前から語り部を始められたそうです。

私はたまたま、昨年と今年、広島一中の
原爆死没者慰霊祭に参加していたので、そのことを伝えると
とても感慨深いご様子でした。

私にとっても娘にとっても、
戦争や原爆のできごとは想像するしかできないことだけど、
その想像することをやめてしまったら、
広島に暮らす意味がないかもしれません。

過ちはくりかえしませぬから。